サイラーの歴史
オーストリアにあるサイラー(オーバーエストライヒ州オーバーキルフェン)は1913年から代々パン屋をしている老舗です。
オーストリアでは家業を引き継いでいくことはごくあたりまえのことで、サイラーの店主であるアドルフ・サイラーも15歳からパン職人として働いています。
また、Adolf Sailerと言う名前も代々引き継がれていて、今では4代目になります。
Adolf Sailer Ⅰ
1882.
Adolf Sailer Ⅱ
1911.
Adolf Sailer Ⅲ
1938.
Adolf Sailer Ⅳ
1963.
1870年
初代アドルフ・サイラーによってブルゲンラントに『○○サイラー』をオープン。
1913年
2代目アドルフ・サイラーによってラトシュタットに『ベッカライ・サイラー』をオープン。
1930年
3代目アドルフ・サイラーによってヴィリバルトに『ベッカライ・サイラー』をオープン。
1939-1945年
第二次世界大戦
1945年
3代目アドルフ・サイラー ロシア出兵中に亡くなる。
1960年
ヴィリバルトのお店を売却し、新たにマウエアキルフェンに『ベッカライ・サイラー』をオープン。
1994年
4代目アドルフ・サイラーによって日本・福岡に『ベッカライ&コンディトライ・サイラー』をオープン。
2000年-現在
オーストリアのお店は弟のルドルフ・サイラーに引き継がれる。
現在
オーストリアと日本の両方で成功を収めている。
日本でサイラーを開業している
4代目サイラー
1963年
1963年7月8日 オーストリア・マウエアキルフェンで生まれる。
父:アドルフ サイラー パン職人
母:エルフリーデ サイラー(旧姓:リントルバウエア)店員
1969年
学歴: 小学校と5年間の義務教育期間を終える。
1978年
職業訓練:アルトハイムのカールヴァインハウプトで菓子職人(2年間)パン職人(2年間)の訓練を受ける。
1982年
職業学校:ブラウナウとリンツで卒業試験を良い成績で卒業する。
1982年-1983年
ザルツブルクで1年間 陸軍の兵役に就く。
1983年-1989年
両親が経営するお店で働く。
1984年-1986年
福岡滞在期間『千鳥屋』原田みつひろ氏の下で働く。
1986年-1987年
オーストリアへ帰国し、パンと菓子のマイスターの資格を取得。
1989年
再び福岡『千鳥屋』へ戻る。
1989年-1993年
福岡赤坂のバイセローゼで店長を務める。
1994年
福岡にベッカライ&コンディトライ・サイラーをオープン。
1996年-現在
大阪 辻○○学校の教師を務める。
1997年 4月
福岡中村調理学校の講師を務める
1998年
長野オリンピックの際、オーストリアオリンピックチームに招待され選手の為にパンを焼く。
1999年
オーストリア120年祭に天皇より招待される。
2001年 9月4日
有限会社オーストリア菓子サイラー・ジャパン設立
2002年
日韓ワールドカップの際、カメルーン代表チームに招待され選手の為にパンを焼く。
2003-2008年
Jリーグ・アビスパ福岡のオフィシャルスポンサーになる。
2004-現在
アビスパ商品オンラインショップをスタート。
2005年 5月
サイラー姉妹店/LA SUPIGA(イタリアパン専門店)OPEN
2009年 10月
FCバイエルン・ミュンヘンのオフィシャル・ライセンスを取得した、
スポーツバー&レストラン/BAYERN福岡をOPEN
2010年 3月29日
サイラー所在のビルを、サイラー本社ビルとして購入
2011年
日本初のオーストリア・ドイツスタイルの専門学校『Spirit of Meister School』を
プランニングし、アドバイザーとして協力する。
2012年
ホテルオークラJRハウステンボスと技術提携し、指導にあたる。
2014年 3月
cafe klimtオープン
2014年 4月
中村アカデミーコリアの講師を務める
2017年 8月
オーストリアのTV局-Servus-TVの取材を受ける
2018年 12月
バイエルンFUKUOKA閉店
2019年 8月
ドイツのTV局:kabel1の人気番組Abentever Lebenの取材を受ける
2019年 11月
サイラーコリア オープン
2020年
ノルウェー、オーストリアのオリンピックチームのサポートをします
その他
数多くのラジオ番組、TV番組(NHK・RKB・KBC・TNC・FBS・フジテレビ・サガテレビ)に出演する。